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南米チリに住む日本人がおくる、チリのローカル情報マガジン

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CHILE

33人生き埋めのあの事故現場は、そう、チリでした

2010年に銅鉱山で落盤事故がおこり、

69日間33人が生き埋めになった事故を覚えているだろうか。

そう、あの現場はまさにチリの北側にあるコピアポ州だ。

2016年2月18日 / natsumiueno

2010年に起こった鉱山落盤事故を覚えているだろうか。

閉じ込められた33人、69日かかって全員生還し、

日本でも毎日多くのメディアが取り上げていた。

まさにその現場となったのが、サンチャゴから北へ飛行機で2時間、

コピアポ地域にあるサンホセ鉱山だった。

 

Wikipediaの情報を頼りにどんな事故だったか改めて振り返ってみよう。

救出までの69日間

8月5日(0日)

事故に遭遇した労働者は皆男性で、32名のチリ人と1名のボリビア人であった。閉じ込められた作業員は通気孔からの脱出を模索したが、通気孔にはステップが無く脱出は不可能であった。

 

8月22日(18日)

生存は絶望視されていたが、救助隊は確認のために地下700mにある避難所まで直径8センチのドリルで穴を掘った。22日にドリルを引き上げたところ、先端に赤い文字で「我々33名は待避所で無事である」旨をスペイン語で手書きされた紙が括りつけられているのを発見、坑内に閉じ込められた33名が地下700mの避難所で生存していることが確認された。

1日おきに1人当たり小さじ2杯分の缶詰のマグロ・牛乳1口・ビスケット1枚を分配してしのいでいた。彼らが発見された時の備蓄食料は、あと2日分しか残っていなかった。

 

9月

地下への配給品が配られ、また救出のため3つの計画で堀削作業が進められた。

 

10月12日(67日)

現地時間10月12日23時20分(日本時間10月13日11時20分)、最初の救助隊員が地下へと下った。同10月13日0時11分(日本時間10月13日12時11分)、最初の被災者が救助された。

 

10月14日(69日)

10月14日0時33分(日本時間10月14日12時33分)に最初に降下した救助隊員が帰還し救出作業は終了した。

33人を救出したフェニックス

2015年にはこの事故の69日間にわたったその救出劇を描いた映画『The 33』も公開された。

予告編を見ただけでも、共感してもらえるのではないかと思う。

 

 

「いや! 俺は全員がここから生きて出られると信じている。

なぜならそう信じると決めたからだ。33人全員でな!」

──マリオ・セプルヴェーダ

事故の全容

事故現場

現在事故現場には事故当時の様子が見て回れるようになっている。

プレハブには事故当時の写真展示や、69日間の変遷、

33人の坑道内部での様子や役割などが細かく紹介されている。

 

また、3つのプランで進められた掘削の跡が見えたり、

救出に使用されたフェニックスには実際に入ってみることもできる。

知れば知るほど、生き延びたことが信じられないほど過酷な状況下で、

生き延びるための多くの知恵と、冷静でそして強い信じる力あっての

奇跡的な生還であったことが伝わってくる。